将来の夢は、お花屋さんになること。
幼稚園の時、そう書いていた記憶がある。
別に自分でそうなりたいと思った訳ではなく、お友達がお花屋さんって一緒に書こう、って言われたので素直に応じただけ。
お花屋さんがどういうものかも分かってないし、そもそも夢なんてなかった。
ケーブルテレビで地元幼稚園の子たちの将来の夢を発表するコーナーがあり、よく見るのだが、なんとも可愛い。
私の頃の様に、お友達と示し合わせたかの様な発表も、なんだか可愛い。
消防士になりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか定番の夢もあるが、ウルトラマンなどの戦隊モノやプリキュアにありたいなど、子供らしいものもある。
最近よく見るのが、AKBなどのアイドルになりたい、という子がいる。
アイドルになりたい、という子もいれば、AKBになりたいって言う子もいる。
彼らか大きくなる頃にAKBが存在しているかは疑問だが、本気で入りたいと思うのであれば、遠い将来の話ではないかもしれない。
今、一線で活躍しているアイドルは、小学生か中学生あたりで加入いしているようだし。
今は、AKBにだってなりたいと思えば叶う時代なんだなぁ、なんて思ったりもする。
凄いな、小さい時からちゃんと考えているんだな。
自分は、何にも考えてなかったな。
小学校中学年あたりで漫画にハマって漫画家になるって思ったりもしたが、夢に終わる。いや、まだ完全に諦めた訳ではないのだが。
身近な夢としては、結婚できたし、念願だった我が子を抱く事ができた。位だろうか。
次の夢は、第二子。
我が家は、そう簡単にできないので、不妊治療を再開して、育休中に第二子を妊娠する事。
本当は間を開けたいのだが、もう40過ぎなので、出来るだけ早く動きたい。それと、県の不妊治療助成金が終了してしまう年齢が近い。
とりあえず裕福ではないので、助成金など頂けるものは頂きたい。
こう言うと、金ないなら子ども作らなければいいじゃんと言う人も居るだろうが、勝手にすればいい。
年取ってから、もう一人いたらよかったね、なんて言いたくない。
今しかチャレンジできないのだから、もし駄目でも、やらないで後悔するより、やって後悔する方が断然いい。という信念で突っ走ってる。
とりあえず、今は、隣でちぎりパンの様な足をバタつかせている娘が健やかに育つ事を祈るのみである。

お金持ちーになりたい。

お金持ちになりたい。

小学生が七夕飾りの短冊に書く願い事かって感じだな。

私は、優しい主人も居るし、可愛い娘も居るしでそこそこ幸せではあるけれど。

お金持ちになりたい。

主人は、稼ぎが無いわけではないが、産後の私を養う余裕がないという訳で、生活費の一部は私の貯金から捻出している。

もっと言うと、娘出産の為の不妊治療費、出産費用など諸々は私が支払っている。なんだかんだ100万以上はかかっているはず。

どうも最近私の貯金が減っているのはこれの為だったのか。

お金が限られているから、なるべく無駄遣いせず、食費や病院の支払いはカード払いにしてポイント貯めて商品券と交換したり。コツコツ懸賞に応募して商品ゲットしたり。

ほぼ支払いをカードにしていたら、ゴールドカードになってしまって、専用のラウンジに入れるようになったりして。お買い物途中で、ちょっと休憩してお茶飲めるから嬉しい。

念のため言うが、私は高給取りではなく、年収250万以下の非正規労働者である。

主人は倍以上収入があるはずなのに、貯金がないらしく、婚約指輪すら貰ってない。結婚指輪は、互いに送り合う形を取ったので、自分で買った様なものである。

当初主人は、手作りの指輪が良いと言っていたのだが、ブランド好きの私がティファニーがいい!と強引に押し切って決定した。

そんなこんなで最近思う事、空からお金が降ってこないかな〜って。

宝くじで一億円とか当たらないかな〜?って思うけど、末賞の300円しか当たらない。

まあ、一枚しか買わないのに300円って凄いとか言われるけど。

だからって何十枚も注ぎ込みたくない。夢を買うのは一枚で十分である。

もし、一億円当たったら〜。

考えただけでも楽しい。

半分は運用して、あと半分は、大好きなブランド品買ったり、旅行行ったり楽しそう。

娘の教育資金も寄せておけるから安心出来るし〜。

二世帯住宅も建てられる。

田舎なので、住宅メーカーを選べば十分新築の家買えるし。

考えただけでも楽しくなってくる。

でも、まあ宝くじが当たる事は、悲しいけど無さそうなので、地道にコツコツと稼いでいけたらいいなと思うのであった。





婚活?

私は、人嫌いなので結婚しないで一生一人で生きていくと思っていた。

しかし、35歳を過ぎたあたりから、このまま結婚もしないで一人で死んでいくのは寂しいと思い始め、一念発起して婚活を始めることにした。

私は口下手なので、お見合いパーティー的なものだと自分の良さを出し切れず時間を無駄にしてしまう気がしたので結婚相談所に入会しようと思った。

たまたま新聞広告を出していたY相談所の説明を聞きに行き、入会する事にした。

こう書くと、スムーズに直ぐ入会したと思われるかも知れないが、決断するまで若干時間を要した。

なんたって入会金30万で、月々1万、成婚15万とかだから。

契約社員の私には、大金過ぎて即決なんてできなかった。

今では、色々な相談所があるのだが(当時もあったであろうが)なんとなくここが良い様な気がしていた。

やるからにはガンガンお見合いをセッティングして早期退会しようと決めていた。だか、こんな私にお見合い希望者が来るのだろうか?

相談所の先生は、女性には希望者が結構来るから安心して、と言われていたが、まさにその通り。

思ってたより希望者がいて、その中から合いそうな方とお見合いをした。6人ほどお見合いをして、その中から一人と三カ月お付き合いして、成婚退会。私の入会していた相談所は、三カ月交際継続して結婚の意思があるなら成婚退会というシステム。やっと結婚できると思ったのだが、彼の不誠実な行為の為、結婚は破断にして、私は再度Y相談所に入会する事に。今まで受け身でお見合いしていたが、こちらからお見合い希望をし、年上の方しか見てなかったのを年下の方を希望してお見合いしたら、今の主人と出会う事ができた。これしかダメなんだと思い込んでいて、視界が狭くなっていたのかもしれない。結果的に回り道してしまったように思うが、じっくりと考えて行動出来たように思う。

娘のこと

今年5月に娘が産まれた。

待ちに待った第一子。

だが、娘には、生まれながらにして障害があった。

障害、と言うと大袈裟かもしれない。

先天異常と言うのがあっているのかもしれない。

妊娠中期の健診の時に先生に、お腹の子は、口唇口蓋裂かもしれないと言われた。

聞きなれない言葉で、何度も聞き返してしまった。

口唇口蓋裂とは、唇が鼻下まで裂けてしまう先天異常。500〜600人に1人の割合で生まれるという。

家族にいませんか?と先生に聞かれて、あれ?自分もそうかも?と先生に伝えた。

幼稚園あたりから鼻の手術していたので、てっきり鼻が悪いとばかり思っていた。

実は私も口唇裂って病気?だったんだ、とこの時初めて知った。

病気からの帰り、実家に行って両親に聞いてみた。

両親は、口唇裂という病名すら知らなかった。と言うより忘れいたか、聞いてなかったか。

地元産院で出産したが、その後の転院等のフォローもなく、自ら医者を探して、東京の大学病院を紹介して貰ったらしい。

母は、私が口が裂けていて授乳しにくいという理由で母乳育児を断念さざるをえなかったらしい。注射で母乳を止めたとか。ずっと母乳は出なかったと聞いていたので、衝撃だった。

ずっと自分の体の事なのに、イマイチよく分からないし、聞いても、あまり的を得ていない様な気がしてモヤモヤしていた。

そのうち手術して綺麗になるから、それまで写真は撮らないし、このことは誰にも言ってはいけないし、秘密にしていないといけないって感じだった。

でも、そういう姿勢はあまり良くないと思っていた。

幼稚園の時、これが原因でいじめられた。鼻形成射術後で、鼻に射術の固定テープを付けている頃だった。

お友達と2人で遊んでたら、他のグループの1人が仲間に入れてやるというが、お友達は入れてやるが、私は、鼻が変だから入れてやんないという。

その状況でお友達は私を捨てて仲間に入っていった。

とても悲しかった。

そのお友達とは、今でも交流があるが、心のどこかで信用しきれてはいない。

それ以来、その事でいじめられることはないが、変だねくらいは言ってくる子はいた。

もしかしたらうちの娘も、私みたいな思いを経験するかもしれない。

でも、私は病院の事をちゃんと説明しようと思う。何も悪い事はないんだよって。なにか言われたとしても、負い目を感じることはない。

これから長い付き合いになる口唇裂という病気をよく理解して、正しい目で見てほしいと、母は願う。


待望の‼︎

今年5月に、待望の第一子が誕生した。

41歳で。

遅っと思われるだろうが、そもそも結婚が38歳と遅いので仕方ない。

きっと自分は結婚しないで一生孤独の身なのだろうと思っていたくらいなので。

結婚したらすぐ妊娠するだろうと思っていた。

しかし、なかなか授かれず、とうとう大学病院に紹介状書いて貰って不妊治療するはめになるとは思ってもみなかった。

その大学病院には、別の件で通院していた。

ある日、先生から不妊治療を考えてみては?と言われて、主人に相談して、近所の婦人科に通うことにした。

当初主人は、不妊治療なんて受けなくても授かれるだろうと思っていたようだった。

だが、自分は結婚の時点で38歳と高齢で、免疫力なども低下しているだろから、何事もなくても受診した方がいい、と力説して、君がそんなに言うならやってみればいい、と半ば強引に許可を得た。

K婦人科初診。先生から初めに言われたことは、治療を急ぐなら、不妊治療に力を入れているTクリニックに紹介状だすよ?と。

地元では有名な不妊治療クリニックなので名前は聞いた事あるが、私はここの先生の対応が好きだし、ちょっと通えば妊娠するだろうと思っていたので、紹介状は書いて貰わないことにした。

だか、治療の成果は見えず、治療の過程で男性側に問題があるかもしれないから大きな病院で精密検査してきなさいと言うことになり、転院することになった。

今思えば、転院してよかったなと思える。

初期流産も経験したし、最終的には高度不妊治療を受けて妊娠、出産することができたのだが、生まれてきた赤子は呼吸障害で乳児集中治療室(NICU)に入る事に。NICUがない個人の産院だったらどうなっていたのだろう。

そんな事を考えれると、ぞっとしてしまうが、赤子はすぐにNICUから出て母子同室になれるようになった。

まだまだ心配は尽きないが、このまま健康に育っていく事を祈るのみ。